日本人が外国語が苦手な本当の理由とは?

 一般的に、日本人は外国語が苦手と言われている。正確には、外国語の会話が苦手ということなのだが、この頃この原因について思い当たる節があったので書いてみたいと思う。

 私も中国に駐在するものとして、中国語を週一回程度勉強してきているのだが、仕事上ほとんど日本語と英語で事足りるため、意外と中国語を使う機会がない。したがって、中国に駐在していながら、中国語より英語に自信がついたというある意味おかしな結果になってしまっている。ただ、これではもったいないため、最近中国語で話すように心がけているが、なかなか上達しない。

 一方で、若い中国人は大体英語が話せるし、また日本語を話せる人も多い。日本に来ている中国人ほかの留学生、就労者も流暢には話していると思う。

 この違いは何かを考えてみた。

 巷では、英語と中国語が文法が似ていると言われているが、主語の後に動詞が来るくらいで、中国人も人によるが、近いとは思っていない。ましてや、日本語と中国語は文法的には近いとは言えないだろう。

 もちろん、彼らは仕事を得るために絶対に必要な条件であることは確かだが、我々日本人が逆の境遇に置かれたとして、果たして彼らと同じようにしゃべることができるだろうか。

 筆者は、その違いを外国語学習に対する考え方の違いにあるのではないかと考えている。

 つまり、中学校の英語教育以来、日本人にとって外国語とは文法を学ぶことで会話を学ぶことではない。喩えて言えば、家を建てるときにまず、柱や梁などの骨組みを組み立てるが如く、まず文法を押さえようとする。骨組みさえ、きっちり決まれば後の壁、天井は打ち付ければよい話で、さほど重要ではないという気持ちが、どこかにあるような気がする。文法骨組み至上主義である。

 外国語が学問であれば、この骨組み重視の勉強法は的を得ていると思う。例えば、電気、物理、化学などは、このような骨組みなくして前進はない。日本で科学産業が発展したのは、日本人の中に元々こういう素地があったからではないかと思う。
 
 ところが、外国語とは、学問ではない。もし学問であれば、4、5歳の子供が流暢にも自国語を話せるわけがない。大学へ行くまでは、誰も満足に話ができないはずである。では何か。外国語とは、レンガを積み上げて家を作るが如く、小片を積み上げて、骨組み即ち文法を類推、習得していくものではないだろうか。子供はそうして母国語をマスターしていくはずだ。

 即ち、外国語学習とは、ひとつひとつの会話(小片)を積み上げて全体を構成する一種の「類推する習慣」ではないだろうか。

 ところが、一般的に日本人は筆者を含めて文法を押さえるだけで満足してしまう傾向があるような気がする。

 中国では、田舎へ行くと自分で日干しレンガを積んで家を建てる。木造骨組みの家はあまり見かけない。これはただの一致でしかないが、原風景という点で何かしら影響があるのかも知れない。とにかくこの家で言えば、小片を集めてくっ付けて行けばそこそこのものになるが、構造計算もへちまもあったものではない。逆に、中国で歴史上科学が発展しなかったというのも、こういうところに関係があるのかも知れない。

 とにかく、我々日本人は外国語に関する限り、文法至上主義を改め、有象無象の小片、即ち日常の会話を集めて骨組みを形作っていくものだと考え方を変えるべきかも知れない。こうすれば、必然的に会話はうまくなるはずだ。

P/S:
 この文章を書いた後、とにかく会話の小片を覚えようと1年間がんばったところ、自分でも不思議なくらいに文法を考えなくても中国語が自然と出てくるようになりました。

↓ポチっとお願い!
にほんブログ村 教育ブログへ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

なずな
2009年06月13日 09:30
こんにちは^^
私の記事とほとんど似た内容になっていますね。
小学校で英語の授業が始まっていますが、この事に早く気づいて授業内容の見直しを計ってもらいたいと願っています。
学問として学ぶのではなく、あくまでコミニュケーションツールとして使える様になる授業の方が断然いいに決まっています。

この記事へのトラックバック